乃木坂46の24thカップリング曲「僕のこと、知ってる?」
この曲はドキュメンタリー映画第二弾「いつのまにか、ここにいる」の主題歌でもある。
今回はこの楽曲の考察をしていきたい
楽曲の歌詞やテーマに乃木坂自体を重ね合わせることは非常に野暮で無意味なことだが、この楽曲に関しては話は別である。
というのも、この曲が乃木坂のドキュメンタリー映画の主題歌になっているからである。
「悲しみの忘れ方」がそうであったように、また卒業ソロ曲の多くがそのメンバーの当て書きであるように、重要な場面で作られる曲には最初から必ず意味と役割が与えられている。
歌詞考察
初めに結論を述べると、この曲のテーマは
アイドルのアイデンティティの喪失である。
この曲では以下のような図式が成り立つ
主人公=僕=アイドル(=彼女)
アイドル=偶像=偽りの自分
楽曲の全体像を、
アイドルという偶像を演じる為に偽りの仮面を被り続けていた主人公が、ふとアイデンティティを喪失していることに気がついた、という視点から捉えていく。
以下、歌詞の内容からこの曲の理解を深めていきたい。
知らない街のどこかに一人で立っていた
どうしてここにいるのか僕にもわからない
今までのこと何にも覚えていなかった
人混みの中ポツンと途方に暮れてたんだ
アイドルであった自分の記憶を失くした主人公が
知らない街=芸能界=現在自分が置かれている状況
で途方に暮れている様子が描写されている。
アイドルとしてこれまで全力で走ってきた主人公が、ふと気づくと芸能界という潮流に呑まれ自分本来の目的や意思を見失っていたことに気づく
青い空は澄んでていつもよりもキレイで
なぜだか涙が止まらなくなった
風が吹いたせいなのか?雲はどこへ行ったんだ?
迷子だ(迷子だ)迷子だ(迷子だ)記憶喪失
アイドルであったという今までの記憶を失った状態で見た空がいつもよりもキレイに見えたという描写から次のような不等式が成り立つ
今までの偽りの自分 < 記憶を失くした自分=アイドルでない本来の自分
2〜4行目ではいきなり記憶を失くしたこと=本来の自分を取り戻そうとしていることへの混乱が大きく表れている。
この混乱する主人公の様子は次のサビ以降でも描写されている。
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって自分のことが思い出せない
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ落としたのかな(捨ててしまったか)
忘れてるのか
ホントの僕は(今もきっと今もきっと今もきっと)
いつかの僕を(探したいんだ探したいんだ探したいんだ)
ここでの「僕のこと」は記憶を失くしてしまったアイドル時代のことではなく、その裏に隠れていた「ホントの僕」を指していると考えられる。
アイドルという偽りの仮面を被っているうちに見失ってしまった自分の本来の姿=「いつかの僕」、アイデンティティを取り戻したいという主人公の気持ちが強く表れている。
主人公の現状と今の心理が描写されたところで一番は終わり、ここから歌は2番に入る
そばの誰かに聞いても答えてもらえない
他人のことなど結局親身になれないのか
道の先がどこまでそう続いていようと
通行人には関係ないんだ
自分が向かう場所まで辿り着けばいいだけ
勝手だ(勝手だ)勝手だ(勝手だ)傍観者たち
記憶を失い混乱を極め途方に暮れている主人公が周りの人々に助けを求めるが手を貸して貰えない。
道の先=アイドルとしての自分の未来
通行人=傍観者=アイドルという偶像を演じさせている「大人」の存在
僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
会ったことないかな?(会ったことないかな?)
見かけたことくらいありませんか?
何か隠してるそんな気がする
僕のこと、知らない?(僕のこと、知らない?)
足跡を見つけたい(足跡を見つけたい)
誰かに似てるとかでいい
勘違いでも(ただの誤解でも)思い込みでも・・・
それでも僕は迷子のままだ
1サビでは「僕のこと知ってる?ねえ誰か教えて」と不特定多数に疑問を投げかけていたのに対し、2サビでは特定の誰かに問いかけているような語り口調に変化する。
問いかけられた誰か(仮にAとする)が「隠してる」何かとは主人公がアイドルだったという事実だ。
主人公の問いの目的は喪失したアイデンティティの発見であり、その目的に於いてこの問いに対し「あなたはアイドルです」と答えるのは適切ではないためAは回答をしなかったのだろう。それが結果的に主人公には何かを隠しているように見えた。
この部分には今の状況に混乱を極め疑心暗鬼になっている主人公の様子を表している側面もあるかもしれない。
ここでの「勘違い」=「誤解」=「思い込み」は全て自分が本来探しているものではないという点から =アイドル時代の自分となる。
そう誰も知らない(そう誰も知らない)
世界へ行きたかった(世界へ行きたかった)
顔を晒したって気づかれない
人混みの中歩きたかった
自分が誰かどうだっていい
記憶喪失になる前の自分の気持ちが表現されている。
アイドルという自分を演じ続けることに疲弊した主人公が今の自分が持っているものを投げ打ってでも自由を手にしたいと望んだ。
ここから今までの記憶喪失が主人公の意志で行われていたことが判明する。
「自分」=アイドル時代の自分の全てを捨てる覚悟があったのだ。
自分の意志でアイドルであった自分の過去を抹消しアイドル時代に失ってしまったアイデンティティの獲得を目指したのである。
以下1サビ2サビ繰り返し
僕のこと、知ってる?(僕のこと、知ってる?)
ねえ誰か教えて(ねえ誰か教えて)
何者なんだろう?考えたって自分のことが思い出せない
僕のこと知ってる?(僕のこと知ってる?)
手がかりが欲しいんだ(手がかりが欲しいんだ)
ここまで生きた思い出さえ落としたのかな(捨ててしまったか)
忘れてるのか
ホントの僕は(今もきっと今もきっと今もきっと)
いつかの僕を(探したいんだ探したいんだ探したいんだ)
街に貼られたポスター 誰かに似てるような・・・
このポスターは恐らくアイドル時代の自分のポスターのことだろう。
失ったアイデンティティの獲得を目指している主人公(もしくは既に目標は達成された?)が、はっきりとアイドル時代の自分と決別していることを明確に表す特徴的なシーンである。
まとめ
映画「いつのまにか、ここにいる」のテーマは卒業であり、アイドルとしての道を全うしたメンバーがその先自分1人の道をどのように歩んでいくか、アイドルと自分という二面性の葛藤が描かれている。
アイデンティティ喪失というアイドルの内面性の葛藤を表現した「僕のこと、知ってる」が主題歌として作られたのも納得である。
最後に思うことは秋元康についてである。
この曲の主人公はアイドルになったために自己を見失い最終的にその全てを捨てて本来の自分に戻ろうとする。
芸能界に翻弄されるアイドルの葛藤を作詞したのは秋元康であり、そのようなアイドルを生み出しているのもまた秋元康である。
ここにアンダーに「アンダー」を歌わせた時のような感覚が彷彿する。